baduyoの日記

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33勝基準 平成における33勝見送り例

それ以降の記事も読んでいるが、私の記憶では、それ以降の昇進において、32勝以下が基準として提示されたことはなかったことから、これ以上の話はないものと見て、この辺りにしておきたい。

 

ただ、33勝以上の見送り例が散見されたことから、これらの例については見ておくことにする。

 

1.琴光喜

wikipediaの記事がよくまとまっている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B4%E5%85%89%E5%96%9C%E5%95%93%E5%8F%B8 

2001年9月場所は前頭2枚目の地位で13勝2敗の好成績をあげ、幕内在位7場所目という史上3位のスピードで自身初の幕内最高優勝(平幕優勝)を果たした(優勝パレードはアメリカ同時多発テロの影響で自粛)[1]。この場所を含め、以後連続3場所の通算成績は34勝11敗(9月場所は13勝2敗、11月場所は9勝6敗、翌1月場所は12勝3敗)を挙げ、翌2002年1月場所後に大関昇進なるかが注目された。しかし当時大関が4人いたことや、3場所前が平幕だったこと、および2場所前が9勝6敗であったこと(平成以降に大関昇進した力士で、豪栄道の二人を除き全て2場所前は10勝以上)、また14日目に当時平幕の武雄山に敗れたその印象が悪過ぎるなどの原因により、相撲内容を問われて不運にも昇進は見送られた[2]

 

という次第だった。私の感覚でも、前場所10勝か当場所13勝なら昇進してた感があり、非常に難しい判断だったと思う。

 

次に、雅山をみてみたい。これもウィキペディアを引用はする。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%85%E5%B1%B1%E5%93%B2%E5%A3%AB

昇進基準と番付[編集]

大関復帰を賭けた2006年(平成18年)7月場所は序盤こそ緊張感から苦戦したが、終盤の5連勝によって10勝5敗で終えた。二桁勝利で終えたことにより、大関昇進時と同様に「三役の地位で直近3場所の合計33勝以上」となり、昇進を諮る審判部の判断が注目されたが、不運にも再昇進は見送られた。その理由として、直前場所の成績が10勝5敗での昇進は1960年代以来ほとんど例が無かったこと[注釈 2]や、10日目を終えた段階で5勝5敗と優勝争いに全く加われなかったこと、仮に雅山が再昇進した場合に前例の無い「1場所6大関」という極めてバランスの悪い番付構成になる[注釈 3]ことも不利に働いてしまった[7][出典無効][信頼性要検証][注釈 4]

 

言わんとすることは同感だが、これは出典無効、信頼性要検証をつけられても仕方がない。ウィキペディアというのは信頼性のあるソースに基づく記述であることが必要で、私のやっているような独自研究ウィキペディアで書くべき内容ではない。先の琴光喜の記事はよいのだが、大相撲の記事においては他の項でも独自研究と思しき記述が散見され、内容が不正確である記事も珍しくない。

 私の記憶では、北の湖理事長の発言は「昇進場所の10勝は弱い」というものだった。が10勝を前例に乏しいというのはさすがにマニアの推測が過ぎると思う。優勝争いについては、そのような要素もあると思うが、決定的なものだったとは思われない。関脇という地位である以上、序盤に上位陣と当たり、その後下位と当たるのだから、序盤に負けが込むのはやむをえない。6大関については、私も見送られた真の理由であると思うのだが、「『1横綱大関』という極めてバランスの悪い番付構成」と書かれてしまうと、その意図が無いにしても、4横綱大関だったらよかったのか、というように読めてしまう。端的に6大関を問題にする記述が好ましいが、ウィキペディアの記事として、それ以前に6大関を問題視する関係者のソースを明示すべきだし、それが無ければ独自研究なのだから書くべきではない。

 

次に、把瑠都の見送り。

 もはやウィキペディアにも書いておらず、記憶のみなのだが、場所中高砂審判部長が、「13勝で計34勝なら、いいんじゃない。」と言及していた。

 ここで鍵なのは2点。特に意味もなく34勝になっているということと、場所前に三役で21勝であるにもかかわらず、大関取りという話が出ていない点。

 4大関、昇進したら5大関となる。厳しくする理由は立つかもしれないが、5大関でも基準を厳しくしないことはいくらでもあった。

 

最後に、貴景勝の見送り。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E6%99%AF%E5%8B%9D%E5%85%89%E4%BF%A1

2019年1月場所は新関脇として臨み、直近2場所が三役(小結)だったため、成績次第では「三役に3場所連続で在位して延べ33勝」の目安をクリアでき、大関昇進の可能性があった。同場所は4日目に横綱稀勢の里が引退したり休場者が続出し、中日の「平成最後の天覧相撲」も盛り上がりに欠ける相撲が目立ったが、貴景勝は阿武咲との対戦を押し出しで制し、存在感を見せつけた[52]。10日目に高安に敗れた時点で7勝3敗となり、同日時点で10戦全勝だった白鵬と3差で優勝争いからは遠ざかった。しかし白鵬が11日目より3連敗し14日目より休場、一方で自身が白鵬戦勝利も含め連勝を続けたことで、14日目を終えた時点で2敗の玉鷲を3敗で追う形となり、他力ながら連覇の可能性が生じた。もし千秋楽の本割で玉鷲が敗れ自身が勝ち、続く優勝決定戦で自身が玉鷲に勝てば、大相撲の優勝制度導入以降初の関脇以下での連覇を達成するところだったが、玉鷲の勝利によりその可能性は消滅、直後の大関豪栄道戦では押し出しで完敗し最終成績は11勝4敗となった。勝った11番中9番が押し出しと押しに徹した場所であり、押し相撲を評価されて技能賞を初受賞[53]。直近3場所で三役に在位した上で合計33勝を挙げたが、2018年11月場所に上位陣との対戦が少なかったこと、時々見せる引き技など相撲内容が良くなかったこと、千秋楽で大関豪栄道に完敗したことを理由に大関昇進は見送りとなった[54]阿武松審判部長は「もう1場所見せていただきたいと思います」と審判部としての見解を示し、さらに2018年9月場所が9勝止まりであったことにも触れた[55]

 

というわけで、平成10年代以降33勝の見送り例が散見されることとなった。