baduyoの日記

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33勝基準成立後の昇進例 増位山―北天佑

魁傑若三杉の同時昇進から次の大関が誕生するまで、三年を要することとなった。

増位山は、またも一大関という状況で昇進した。

〔読売新聞 1980年1月20日 朝刊17ページ〕

増位12勝、大関「当確」

 関脇増位山の大関問題は、十四日目、増位山が荒勢に勝って、十二勝をあげたため、初場所後の昇進がほぼ確実となった。

 しかし、高砂審判部長は、十四日目の十九日、「今のところ結論は言えない。千秋楽の取組が終わった打ち出し後、見解を出すから控えさせてほしい」と語った。(中略)増位山は、昨年秋場所小結で八勝、九州場所関脇で十一勝、今場所は十二勝目で一応当確ラインとみられる計三十一勝となっている。これまでの大関昇進のケースからみるとややもの足りないが、現在大関貴ノ花が一人のためやや甘くなっており、すんなり決まるものとみられている。(後略)

 というわけで、三十一勝、14日目で新聞では確定が打たれた。審判部はそうは明言しなかったが、翌日晴れて昇進確定したようだ。

 

翌場所も大関取りの記事がある。栃赤城である。

 

〔読売新聞 1980年3月7日 朝刊17ページ〕

栃赤城大関に照準 上位陣に不気味な琴風

(前略)昨年九州場所は前頭筆頭で十勝五敗。初場所は関脇で十一勝四敗。だからはr場所も十勝以上すれば、大関への道は開けよう。(後略)

 またも31勝のようである。

 

次は千代の富士である。

〔読売新聞 1981年1月23日 朝刊17ページ〕

モロ差しの若花に圧勝 増位山はカド番脱出

 (前略)初日から十二連勝と、大関昇進を決定的にした。(後略)

 

賜杯も射程内に 注目の北湖戦

「いっちゃったよ(十二番)」―横綱若乃花を見事、倒して、”大関当確”の十二勝目をあげた千代の富士は(後略)

 10勝―11勝―12勝だと33勝となる。結局35勝まで上積みして昇進となった。

 

次は隆の里である。

〔読売新聞 1981年5月8日 朝刊16ページ〕

(前略)大関昇進を確実にするには13勝はしたい(後略)

 9勝―10勝なので、3場所32勝計算となる。

しかし結果につなげることはできなかった。

次は琴風、朝汐である。

〔読売新聞 1981年9月11日 朝刊16ページ〕

(前略)さて、大関昇進の条件だが、ここ二場所三役で九、十勝の琴風は十二勝、同じく九、十一勝の朝潮は十一勝したいところだ。大関については明確な昇進基準はないが、直前三場所の成績が三役で三十三勝前後というのが一つの目安になっている。しかし、今場所は七十六年ぶりに大関空位となっており、これまでの一人大関の時の例から見ても、昇進基準が甘くなることは十分考えられ、それだけ昇進のチャンスが大きいと言える。(後略)

 

  おそらく、個人の力士ではなく、最近の例からして一般的に三十三勝という数字を持ち出したのはこの記事が初めてではなかろうか。

 それと同時に、一大関だから31勝が琴風朝汐の基準となるだろう、とも言っている。

 

その場所6日目にはこのような記事が出ている。

〔読売新聞 1981年9月11日 朝刊16ページ〕

朝汐、大関とり絶望の4敗

(タイトル以外略)

 

何か言ってることが違う。

 

〔読売新聞 1981年9月25日 朝刊16ページ〕

琴風、大関”当確”

(前略)この日の十一勝目で、夏場所(西関脇)の九勝、名古屋場所(東関脇)の十勝と合わせ、三役、それも関脇で、三場所通算三十勝となった。今場所は七十六年ぶりの大関不在という異常事態で、昇進基準がやや甘くなるものとみられ、この日、横綱を倒したことから、大関昇進は確実になった。(後略)

 

というわけで、三十勝で当確がでた。横綱戦勝利を理由には挙げられている。

 

〔読売新聞 1982年1月7日 朝刊17ページ〕

 返り関脇の朝汐は、九州場所の優勝決定戦で千代の富士に逆転負けして大魚を逃したが、今場所、優勝もしくは十三勝以上すれば大関昇進の道が開けよう。(後略)

  7勝―12勝、1大関。魁傑と状況は類似している。32勝(又は昇進場所優勝)が要求されていることになる。

ちなみにこの記事では隆の里がメインに取り上げられているが、昇進基準の話は出なかったため割愛した。

 その隆の里の記事である。

 

〔読売新聞 1982年1月22日 朝刊17ページ〕

(前略)今場所横綱大関から一勝もできず、残り三日間勝って十一勝としても、昇進が微妙になるところだったのだ。(後略)

 

 この場所まで隆の里は10勝-11勝。32勝だと微妙だったということになる。この後隆の里は全勝し12勝にのせ、晴れて大関に昇進した。

 「優勝」とか「横綱大関」戦勝利とか、色々と注文を付けるようになって、現代の昇進基準のようになってきた印象である。

 

〔読売新聞 1982年7月10日 朝刊16ページ〕

遠のく大関-出羽、朝汐3敗

大関に赤信号-今場所の商店の一つでもあった出羽の花と朝汐の大関争いは、六日目が終わってともに3敗を喫し、早くも絶望的となった(後略)

 朝汐は8勝―13勝、出羽の花は9勝―11勝。それぞれ34勝、33勝が要求されているとも読めるが、序盤での大敗が印象が悪いということなのだろうか。

 

朝汐が足踏みしている間に、若嶋津があっさりと昇進。

 

〔読売新聞 1982年11月27日 朝刊18ページ〕

 若嶋津大関当確の11勝

(前略)最近三場所トータルの白星はこれで「33」。過去の昇進例と比べて見劣りしない。(後略)

 そして朝汐が念願の昇進を果たす

〔読売新聞 1983年3月25日 朝刊17ページ〕

朝潮 会心の11勝

 朝潮は、押し出しで闘龍をくだし11勝をあげ、大関昇進は確実となった。(後略)

 9勝―14勝なので、34勝、ただし2場所前は前頭筆頭。

 

次に昇進したのは北天佑

〔読売新聞 1983年5月29日 朝刊16ページ〕

北天佑 大関つかんだ

(前略)大関は間違いない。ここ三場所の勝ち星はすでに三十四勝。最近では千代の富士朝潮の三十五勝に次ぐ成績を、あと四番も残した段階であげている。鏡山審判部長(元柏戸)も「もう文句なし。自信を以て相撲をとってる。久しぶりに強くて生きのいい大関が出てきそうだ。この分なら優勝も行くかもしれない」(後略)

11勝―12勝の34勝で当確。

 

大乃国までは若干の間隔があるので、今回はここまで。